勉狂廃人 study madness

TOEIC990点目指す勉強日記。現在955点。カップ麺の上のエビが好き

47本目〜異星人の国に暮らして〜新書千本ノック


タイトルから推測して、1960年生まれを境に前時代の日本人と現代の日本人とに分かれるということを言いたいのだろうないうことがわかる。

でも、今はデジタルネイティヴの世代がいるから3種類日本人がいるんだろうな〜、とか思いながら読み進めていった。

想像は半分当たっていたし、半分外れていた。

1960年以降に生まれた日本人はデジタルネイティヴの世代となんら変わりない。違うのは電気冷蔵庫やカラーテレビがスマートフォンになっただけで、本質的な違いはないなという感想を持った。

電車の中で大人がマンガを読むようになったのは、1960年以降に生まれた大人からだし、その大人を含めて今はマンガの代わりにスマホを手にしているだけの違いでしかない。

以前、『ひるおび』で東京駅で限定のスイカかなんかが発行されるとかで、予想を遥かに上回る人が殺到して混乱に陥ったという話題を放送していた。

その中で限定のソレを手に入れることが出来なかった人が泣いて駅員さんに抗議しているシーンが映し出されていた。

俺なんかは、いい歳した大人が人前で泣き崩れて、そもそも限定なんだから手に入らないこともあるだろ、バカかこいつら、小さい頃に泣いて頼んで親にゲームソフトねだってた奴等と変わらねーな。だいたい限定のスイカかなんか知らんが、そんなもんにこんなにたくさんの人が殺到すんのかよ、世の中にはよっぽど面白いことがないんだな、なんて思いながら見ていた。

報道の仕方は応募者の数を低く見積もっていたJRの見通しの甘さを問題にするような感じの報道だった。

まあ、TBSの報道を今更とやかく言うことでもないが、俺は八代英輝さんのことは随分とクレバーな人だなと一目置いていたので、八代さんくらい何かマトモなコメント言わないのかなと思って見ていたけど、結局何も言わず。

さっきWikiで確かめたけど、やっぱり八代さんも恵さんも1960年以降の生まれだった。なぁんだ、そういうことか。この人たちもそうか。この本を読んで、そういうことかと納得である。

1960年以降に生まれた人達はまさにガンダム世代であり、俺がこいつらいつまでガンダムに夢中になっているんだろう?といつも思う人達なのだ。(今日行ったカレー屋チェーンでも、ガンダムを使ったキャンペーンをやっていた)ドラクエの発売日にバカみたいに並んでいた人達なのだ。その人達は、今スマホを手にしてポケモンを追いかけているのだ。俺から見たら彼等は異星人だ。


今回この本を読んでいる間、俺は1960年以降生まれの日本人に対して違和感を感じっぱなしであった。もちろん自分は1960年以降の生まれであるにも関わらずである。

何故なら、自分の周りには1960年以降に生まれた大人がいなかったからだ。俺はやや古風な家で育った。周りの友達の家庭を見て、俺の家とは違うなと常に思いながら生きてきた。その理由がこの本の中にあった。

就職してからも、上司はいつも1960年以前の生まれだった。彼等のやり方は古臭くも感じたし、自分の肌感覚で馴染むものでもあった。でも、他のやり方もあるのになと、いつも分裂した感覚を感じていた。

そういうことだったのだ。俺は1960年以降の生まれなのに、1960年以前の環境で育ってきたのだ。長年の違和感の正体を突き止めることが出来た。


さて、それでは俺はどうしたらいいのだろう?俺はどちらにも入っていけない。俺はガンダムが好きだ。でも、今でもガンダムに触れていたいとは思わない。セーラームーンとは同い年だし、エヴァンゲリオンもリアルタイムで見ていた世代だ。でも、俺の中でそれらのものは過去のものになっている。今更欲しいとは思わない。

1960年以前に生まれた大人達。俺の周りにずっといた大人達に対しては、嫌悪感すら感じている。明るく現代的な家庭で育った他の子供達と、暗く封建的で古臭い価値観の自分の家庭とを比べながら生きてきたためだ。俺はどちらにも入っていけない。


子供の頃はゲームより面白いものはこの世に存在しないと思っていた。思春期になって、マンガの面白さに夢中になった。

そんな価値観が、大学受験を境に変わった。勉強漬けの毎日を送っていた俺は、いつしか勉強の虜になっていた。そこに、光明が見えた気がした。自分の中身が変わっていた。大学に合格し、禁止していたゲームを解禁した。以前と同じような面白さは感じなくなっていた。

今でも勉強している。紆余曲折あって、勉強をやり直している。本はこれまでもずっと読んできたけど、受験勉強を改めてやり直している。

あのとき見えかけていた光明を確実にするためだ。

Keep improving!